プロフィール

みなさまこんにちは!10年後のわたしが喜ぶ和服レッスンのユキです。

プロフィールをご覧いただき誠にありがとうございます。

皆さまにこのサイトの管理人かつたの自己紹介と

わたしが実現させたい世界を少しだけお話させていただきますね。

 

わたしは2020年5月現在、

・日本人が普通に和服を着られる世の中を目指してた和服レッスン

・ホテルで結婚式や披露宴の介添え(新郎新婦のアテンド)

・視覚障がい者の同行援護

 

 

という3つの仕事をしています。

 

 

自覚もあるのですが、小学校の卒業文集に

「あんたって変わっとるね」と言われます

と書いているくらい、突飛な行動や人と違ったことが好きでした。

 

小さい頃から新しいものよりも、古いもの、

おばあちゃんの家にある、昭和なものやアンティークに

興味を惹かれていました。

はじめて自分で購入した腕時計は、12万円のアンティーク。

現在の生活のひとつの柱となる和服に興味を持ったのも、

古着に抵抗がないのも例外ではないかもしれません。

 

 

今のわたしだったら、和服について学んだ後なので、

お金をかけなくても和服を楽しめる方法を知っていますが、

30代後半までのわたしは、和服を着るのは自分にとって贅沢なことだと思っていました。

和服は高級品というイメージがあったからです。

 

成人式で振袖を選んだときにその美しさに魅せられて

「和服が似合う大人になりたい!」と思ったはずなのに、

一歩踏み出す勇気がありませんでした。

 

和服に特別な魅力を感じ、

「いつかきっと自分で着られるようになりたい。」

と思いながらもそれを胸の内にしまってずっと我慢してきました。

 

「自分だけ好きなことをするのは申し訳ない」

という気持ちもあったし、

「自分に本当に合っているのだろうか?もっと高尚な人が着るのもではないのかな?」

「学びの途中で挫折したらどうしよう…」

と、当時の自分と着物との釣り合いを見て、

和服を知らないわたしが勝手に決めた思い込みに囚われていました。

 

挑戦してみたいという心の声にブレーキをかけ、

失敗するのが怖くて、誰かに何かを言われるのが怖くて、

当時の自分と、理想の自分を比較してダメ出しをして

ずっとずっと和服の世界に飛び込めずにいました。

 

事ある毎に、和服が気になる、自分で着物を着てみたい…

そんな気持ちを15年以上ずっと抱えていましたが、

下の子が幼稚園に入り、ほんの少し自分の時間が取れるようになって、

30代後半ばでやっと着付け教室へ入学する決心がつきました。

 

先ずは自分で自分に許可を出せたことが

今までの自分を乗り越えられた、なにかが変わるタイミングでした。

 

 

 

実際に教室へ通うと、知らない事や新しいことの発見ばかりで、

帯結びの楽しさにはまってしまい、とうとう教授の看板まで取得して…

今ではすっかり和服の魅力に取り付かれ、

年間200日以上、就寝時の浴衣を含めたら360日は和服の生活になっています(*^^*)

あなたも想像してみてください。

和服を着ると、それだけでいつもと違った自分になれてしまうし、

姿勢もすっと整って通りすがりの全然知らない人から

「綺麗だね」、「素敵だね」と声をかけて貰えるんです。

 

洋服だとこんなことはありませんでした。

 

和服を着るだけで、自然と自分に自身が湧いて、活力になりました。

 

結婚して、経験のない子育てをして、

毎日ほぼ同じ家事を繰り返し、日々誰に褒められることもなく、

社会とのつながりも浅かったわたしには、

そうして自分を認めてもらえる言葉がこの上なく、

ありがたく、それがどこかの誰か、知らない人の言葉でさえ、

今ここに自分という存在がしっかりとあるということを認識させてくれました。

 

 

着れば着るほど自分の価値観が確認できる…自分が今ここに在る、

という実感は日々深まり、それまでの考え方や暮らし方にも影響を与えました。

和服を通じて更にさらに大切なものを手にしていきました。

 

衣食住と言いますが、本当にその順番に

物事が、人生が変化して行きました。

 

・日本人が持つ大切な想いや背景を知ること

・自然と調和して生きていくこと

・無理せず、知らぬ間に健康的になれること

・自分を大切にし、自分に嘘をつかないこと

・自分にとって必要な人とご縁をつなぐこと

 

 

和服を着るだけで何故そんな風になれるのかって…?

それは、

和服には、日本人の歴史が刻まれているからです。

 

たとえその着物が新しくつくられたものであったとしても、

日本人の生活や歴史が服の中に刻まれ、その魂とでも言うべきものに

触れることで自分の内面が磨かれ、心と身体が整えられるのです。

 

 

毎日の星占いでその日の運勢を気にするのも良いですが、

そんなことより和服を着た方が断然

人生がめくるめくように開運していくんですよ(*^^*)

 

…と、現在のわたしの現在の活動や

和服を取り入れてからの変化をお伝えしましたが、

和服を通じて自分の内面と向き合うことが出来るまでの人生は、

実は一筋縄ではいきませんでした。

 

 

他人の価値観で生きてきた

 

 

小さい頃から記憶力の良かったわたしは、なんとなく、

自分の実力でいける最高レベルの学問を習得し、

世間で言われている偏差値の高い学校へ進むことが、

自分の人生の幸せだと信じていました。

 

 

「大学はお金が掛かる」という言葉を信じて、

公立高校、国立大学へ行く事が親孝行だと思っていたし、

 

 

両親が共働き、一人っ子の鍵っ子で寂しかったけれど、

親に余計な心配をさせてはいけないと、いい子を演じて、

自分の弱い部分をなるべく見せないようにして生きてきました。

いわゆる、優等生ですね。

 

 

大学(生物系)へ進学した後も、希望のゼミに入って、

当時、最先端技術である、遺伝子の組み換えもやってきたし

(コロナで有名になったPCRは実験の基本的技術でそんなこともやっていました。)

端からみたら順風満帆だったかもしれません。

 

 

皆が就職活動を進める中、大学院への進学を選び、

5年間の博士コースへと進みました。

そのまま遺伝子や細胞の研究を続けて、

・世の中の役に立つもの

・病気で困っている患者さんを救う手助けをすること

・画期的な医療機器の開発

こそが自分にとっての幸せだと本気で信じていました。

 

でも、これは自分の価値観ではなくて、

世間一般の価値観だったんですね。

 

 

頭では大きな理想を描いていたけれど、心の奥に

「やっぱり違う」という感覚があったんでしょう。

 

けれど、うまく言語化出来ずに、適当な理由をつけて半年で休学し、

たった1年で退学したんです。

理由はこうです。

「研究者はある意味人間としての完全にアウトな人ばかり」

自分を正当化するために、周りを否定して辞めたんですね。

 

発がん物質と呼ばれているものを平気で素手で触ったり、

冷凍マウスの隣に並べているアイスクリームを

取り出して食べたり…

 

(平気な人は平気でしょうが)

そうした感覚の人たちの中で、自分の本来、

人としての感覚自体がその場にいるとおかしくなってしまいそうだったんです。

 

というか、そう思いたかったのかもしれません。

本当は自分が決めたことを最後まで全うできなかった自分に対して

腹が立っていたし、親に対しても会わせる顔がないと思いました。

 

 

新しい人生の始まりと不穏な波

休学している間に仕事先を探しました。

最初に勤務したのは画廊。笑いが出る程畑違いです。

でも絵は好きだったし、画廊で額装のバイトもしていました。

 

配属は総務で、週に一度、銀座支店の画廊スタッフとして在廊したり、

新しいグッズの調査や顧客調査など、とてもやりがいのある仕事でした。

ところが、入社した会社の業績不振から、

入社後たったの3か月で総務配属の新入社員は半ば解雇を言い渡され、

同じ総務部のたったひとりの同期はその職場を辞めていきました。

 

 

院を中退してからたったの3か月しか経っておらず、

自分のためにも親を安心させるためにも辞めることだけはできなかったので…

「営業で頑張らせてほしい」

と半ば解雇を言い渡してきた部長へお願いをし、その職場に留まりました。

 

九州の親元を離れて一人で生きていくためには、

その方法しかなく、自分で決めたことを途中で放りなげることを繰り返したくなかったのです。

 

 

営業の方法はテレアポでした。資料にある電話に片っ端から電話していき、

お客さんを画廊に呼んで、商品を販売するという方法です。

 

 

朝から晩まで電話をかけ続け、ホッとできるのはトイレの中のみ。

朝、お弁当をつくる時間があるならば、ギリギリまで寝ていたくて

昼も夜もコンビニ続き…

 

 

営業部の同僚と

「わたしたちってゴミみたいなものばかり食べているよね」

と話したことを今でも忘れられません。

コンビニの食品が悪、という訳ではなく

幸せに食事をできていなかった状態を表すのにピッタリの言葉でした。

 

 

心の状態がゴミでした。

 

営業部へ移動してからちょうど1年が経ったころ、

大事件が起き、その会社を退社します(とてもここには書けないような

セクハラでした。もう乗り越えたので、聞きたい方は個別に…)

 

 

会社を退社した日、いつもは乗るハズのない昼間の時間帯に

ホームで電車を待ちながらふと見上げた空が妙にさわやかで、

気持ちが清々しかったのを鮮明に覚えています。

 

「やっと解放された…。わたし、ずっと我慢していたんだ…。でも何を我慢をしていたのだろう??」

 

 

我慢しない生き方

 

その後、研究所や結婚式の仕事に就いたり離れたりして

今は心から自分が心から楽しくて、やりがいのある仕事に出会えました。

もう30代半ばを過ぎてからのことです。

それが新郎新婦の介添えと和服の仕事です。

 

 

和服も仕事にする前は、わたしも一人の生徒でした。

「自分に我慢しない」ことに37歳の頃、ようやくOKを出せて、

「手結び」という言葉に惹かれ、浴衣の着方から花嫁の着付けまで一通り習いました。

 

 

教授看板まで取得して、通った教室名を使って

教室を開くこともできました。

けれど、その時のわたしはそこにOKは出しませんでした。

 

 

自分に我慢しない、正直になることこそが幸せの道だと分かっていたからです。

 

 

教室の名義でレッスンを開講すれば、

教える内容も教室で習ったものに沿っていなくてはいけません。

 

 

これは、わたしが教室を卒業した時にやっと気が付いたことなのですが、

【着付け教室】って、誰かに着付ける【着付師】を育てる場所なのです。

 

 

もちろん、自分でどのように着物を着るかも学びますが、

多くの帯結びは自分では結ぶことができない、誰かに着せて差し上げるものなんです。

 

 

例えば、成人式の帯結びのように…。

(あの複雑で美しい結びは、自分で自分の背中には出来ないんです)

 

 

わたしは着付師を育てたい訳じゃない、

和服を通じて幸せに輝く女性を増やしたい

もっと気軽に和服を着られる日本にしたい

だって着物は日本人が100年前まで普通に着ていたものだから…

 

そんな想いがありました。

 

 

過去の経験から、

「自分の想いに素直になる、もう優等生は演じない、我慢をしない、気持ちに嘘をつかない」

と心に固く誓っていたので、

 

 

誰でも気軽に和服が着られる環境をつくり、

わたしが生きているうちに、

親から子へと伝えられるような自然なものにしたいと思っています。

 

 

今、わたしたちが洋服を着るのは当たり前ですが、赤ちゃんの時から自分で着れた訳ではありません。

 

・ズボンの穴に1つずつ足を入れる

・ボタンのかけ方や外し方

・ファスナーの上げ方

・靴下の履き方

 

 

これは、家庭で自然と伝えられていることです。

でも、赤ちゃんや幼稚園児の頃はうまくできません。

何度も練習して、今があるはずです。それを忘れてしまっているだけなのです。

 

 

そして、本来、和服の着方(練習)も本当は洋服と変わりないのです。

・衿の合わせ方

・裾の長さ調節

・紐の結び方

 

練習したら必ず、誰だってできるようになります。

でも、練習していないだけなのです。

そして、その練習法を聞ける人も身近にいなくなってしまいました。

 

 

それって勿体ないと思いませんか?

 

 

せっかく日本に生まれたのだから、和服を着たいじゃないですか。

四季折々の季節と調和して、豊かで穏やかな時間を過ごしたいじゃないですか。

自然に感謝し、それを日々感じられる人になりたいじゃないですか。

 

 

現代は情報が溢れ、人々は毎日忙しく何かに追われ、

自然と調和する、心穏やかになる本当に大切な時間を忘れてしまっています。

 

毎日何かに忙殺され、自然と不調和の価値観がある意味普通になってしまっていて、

知らず知らずのうちに世代から世代へと引き継がれていってしまっています。

 

 

自然と調和する心豊かになる和服

 

「あぁ、和服が着られたらなぁ」

って思う場面って一年の中に何度もあるんです。

そして、あなたがそう思う背景には、

 

今まで忘れてしまっていた季節や自然との調和を無意識に取り戻したいという感覚が潜んでいるのではないですか?

 

・お正月

・卒業式、入学式

・桃の節句や端午の節句

・桜の季節

・夏祭りや花火

・旅行先

・誕生日や記念日

・宮参りや七五三

・紅葉の季節

・結婚式

 

人生の節目や四季折々の季節の流れの中、

日本人が持っている価値観や考え方の背景、

節句の意味、咲いている花の種類や、旬な食べ物など

親から子供に自然と伝えて行けたら、

きっとその子も将来同じように子供に伝えて行ってくれるはずです。

 

 

日本人が長く培ってきたものを、代々受け継いでいく

 

 

そんな当たり前だけど、当たり前でなくなってしまった本当に大切なものを

家庭の中からもう一度生み出して、循環させていけたらいいな

と思っています。

 

 

子供は親の背中をみて育ちます。

 

 

自分が子供の時に親に

「節分ってなに?」と聞いたら

「豆まきをする日だよ」としか聞いて育たなかった子は、それ以上のものは受け取れません。

 

 

節分は本来、季節の節目であり、一年の始まりであり、区切りをつける日です。

 

「せつぶんは、一年のはじまりだよ。一日一日だとあまり分からないけれど、

ずっと季節は巡っていて、日本は四季折々の植物や動物がいるとても素敵な場所なんだよ。

豆を撒くのは魔を滅することからきているんだよ。

魔を滅すると聞くと、難しく聞こえるかもしれないけど、

自分の中の悪い心を外へ追い出すことをしているんだよ」

 

 

こんな風に伝えられたら、その子は日本の事を好きになり、

日本人であることを誇らしく思い、自信を持って生きられると思うんです。

「日本に生まれて良かった!自分が日本人であることが誇らしい、日々を大切に生きていこう」

そんな風に考える大人になっていくのではないでしょうか。

 

 

表面的でカタチばかりのイベントだから、

・お正月におもちを食べても

・節分に恵方巻を食べて願掛けしても

・夏祭りに浴衣でデートしても

・ハロウィンに仮装して「トリックオアトリート」って盛り上がっても

 

そのときだけの満足で、後に気疲れや虚無感が残るんです。

 

 

今こそ、未来の日本のために、大人が変わって行かなくてはいけないのではないでしょうか

 

 

・どうして祝日があるのか?

・なぜ季節の行事で飾るものが違ったり食べるものが違ったりするのか?

・どうしてお盆にご先祖様が帰ってくるのか??

 

 

全てに理由があります。

そんなささいなことこそ、きちんと伝えられるオトナが増えたらいいなと

願っていますし、わたしも色んなことを知る度に驚きと共にありがたさを感じます。

 

もう、世間で言われている根拠のないことに惑わされるのはやめにしましょう。

自分に嘘をつかず、本当に大切なことを学びませんか?

上辺だけでなく、本質を知り、日本人として自分の人生を生きて、

それを次の世代に繋いでいきませんか?

 

 

和服はそうした生きる「姿勢」を映しています。

着るだけで「姿勢」も整う和服は、

人生に対する「姿勢」も整えてくれるのです。

 

 

和服を着た人が素敵に見えるのはこの、

人生に対する「姿勢」をきちんと持っている人が多いからです。

 

 

わたしがあなたに心底伝えたいのは、綺麗に着る技術ではなく、

人生に対する「姿勢」を整えることです。

 

結ぶ・合わせる・整える

和服を着る時に行うこの3つの動作は、人生の大切なことともリンクしています。

 

自分にとって大切な人との縁を結び

自分の心と身体を合わせ

人生に向き合う「姿勢」を整える

 

 

ただのテクニックではなく、もっと根本の部分をお伝えすること、

一緒に日本人として恥ずかしくない背中を見せられるオトナを育てること、

そのオトナから次の世代へ、子供たちへと想いを繋いでいくこと。

 

 

これが、わたしが本当に実現したい世界であり、信念でであります。

 

・人生に目標がなく、淡々と生きていることに不安を感じる

・本当はやりたいことがあるのに、いつも理由をつけて後回しにしてしまう

・世間の情報が多すぎて選ぶことに疲れてしまっている

・子育てをしているけれど、本当に伝えたいことを伝えられていない気がする

・大人としてきちんとしたい、自立したい

 

 

以上のようなことを少しでも日常で感じているなら

一緒に和服を通じて自分の人生を動かしてみませんか?

信頼できる仲間と共に新しい世界を築き上げてみませんか?

 

 

ひとりが出来ることは限られています。肉体もそうだし、命もそうです。

ただ、この活動に生涯を捧げる固い決意はあります。

より多くの人に価値を届けていきたい…。

 

そんな世界を実現するために、

皆がもっと自分の軸をもって生きてくために、

より多くの人が心からの幸せを感じられるために、

一緒に活動する仲間を増やしていきたいと思っています。

 

ひとりでは限りあることでも、同じ想いを持った人が集まれば莫大な力になります。

あなたの少しの勇気が今後の未来を変えていきます。

共にに学び、成長し、影響を与えあうような場を共有し、自分の人生を自分の力で、決心で動かしていきましょう。

 

 

 

 

かつた ゆき